「お母さん、どうしたい?」
病院のベッドで、娘さんが何度も問いかけていました。でも、お母様はもう答えることができませんでした。延命治療をするのか、しないのか。胃ろうを作るのか、作らないのか。娘さんは、母の代わりに決断しなければなりませんでした。
後日、娘さんはこう言いました。「母がどうしたかったのか、わからなかった。私が決めたことが、本当に母の望みだったのかどうか、今でもわからないんです」
目次
エンディングノートだけでは足りない
終活ブームで、エンディングノートを書く方が増えています。それ自体は素晴らしいことです。でも、エンディングノートに書かれているのは、多くの場合「事実」だけ。銀行口座、保険、葬儀の希望、延命治療の可否。
でも、家族が本当に知りたいのは、そういうことではありません。「あなたがどういう人で、何を大切にして生きてきたか」。それがわかれば、たとえあなたが意思を伝えられなくなっても、家族はあなたらしい選択をすることができるのです。
心の相続としての「私の取扱説明書」

そこで、私が提案したいのが「私の取扱説明書」です。これは、あなたという人間の価値観、好き嫌い、大切にしていることを、家族に伝えるための記録。心の相続の一つの形です。
家電製品に取扱説明書があるように、人にも取扱説明書があっていい。いや、あるべきなのです。なぜなら、あなたのことを一番よく知っているのは、あなた自身だからです。
「私の取扱説明書」に書くべき7つのこと
では、具体的に何を書けばいいのでしょうか。以下の7つを参考にしてみてください。
1.私が大切にしている価値観

「自由でいること」「人に迷惑をかけないこと」「家族と一緒にいること」「自然の中にいること」。あなたが人生で何を最も大切にしてきたか。これがわかれば、家族は迷った時に「母ならこう考えるだろう」と想像できます。
2.私の好きなもの・嫌いなもの

好きな食べ物、嫌いな食べ物。好きな音楽、好きな花、好きな場所。嫌いな音、苦手な匂い。介護が必要になった時、あなたが何を心地よく感じるかを知っていれば、家族はあなたを少しでも快適にしてあげることができます。
3.私が機嫌よくいられる条件

「朝はゆっくりしたい」「一人の時間が必要」「誰かと話すのが好き」「静かな環境が好き」。認知症になっても、人の根本的な性格は変わりません。あなたがどういう環境で心地よくいられるかを伝えておくことは、とても大切です。
4.介護されるなら、こうしてほしい
「できるだけ自分でやりたい」「手伝ってもらうのは構わない」「プライバシーは守ってほしい」「明るく接してほしい」。介護される側にも、尊厳があります。どう接してもらいたいかを伝えておきましょう。
5.医療についての考え方

延命治療の可否だけでなく、「なぜそう考えるのか」を書いてください。「苦痛を長引かせたくないから」「最後まで生きたいから」。理由がわかれば、家族は納得して決断できます。
6.最期に聞きたい言葉、見たいもの
「ありがとう」と言ってほしい、好きだった音楽を流してほしい、窓から空が見える場所にいたい。あなたが最期に何を望むかを伝えておくことで、家族はあなたに寄り添うことができます。
7.家族へのメッセージ

「介護で自分の人生を犠牲にしないでほしい」「できる範囲でいい」「ありがとう」。家族は、あなたのために頑張りすぎて、疲れ果ててしまうことがあります。あなたからの「許可」が、家族を救うこともあるのです。
家族と一緒に作ることの意義
「私の取扱説明書」は、一人で書くより、家族と一緒に作ることをおすすめします。
「お母さん、どういう時が一番嬉しい?」「どんな介護なら受け入れられる?」。そんな会話をすることで、家族はあなたのことをもっと深く知ることができます。そして、あなた自身も、自分がどういう人間なのかを再確認できます。
また、一緒に作ることで、家族は「私たち、ちゃんと聞いたよね」という安心感を持つことができます。いざという時、迷いや後悔が少なくなるのです。
迷わせないことが、最高の愛情
介護や看取りの場面で、家族が最も苦しむのは「これで良かったのだろうか」という迷いです。その迷いは、時に一生続きます。
でも、あなたが「私の取扱説明書」を残しておけば、家族は迷いません。「これがお母さんの望みだった」と確信を持って、あなたを見送ることができます。
家族を迷わせないこと。それが、あなたができる最高の愛情であり、最も大切な心の相続なのです。
今日から始めよう

「私の取扱説明書」は、難しく考える必要はありません。ノート一冊と、家族との時間があれば十分です。
完璧である必要もありません。少しずつ書き足していけばいいのです。大切なのは、「始めること」。そして、家族と「語り合うこと」。
あなたという人を、あなたの言葉で伝えてください。それが、家族への最高の贈り物になります。そして、それこそが、心の相続なのです。
今日から、あなたも「私の取扱説明書」を作り始めてみませんか。
相続会議
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