ある日、遺品整理のお手伝いをしていた時のことです。引き出しの奥から、一通の手紙が出てきました。便箋には「お母さんへ」と書かれ、そこで途切れていました。書きかけのまま、何年も眠っていたのです。
ご遺族の方が、その手紙を手に取り、静かに涙を流していました。「何を書こうとしていたのでしょうね」と。私たちは、永遠に知ることができません。
心の相続とは何か
終活というと、多くの方が財産や物の整理を思い浮かべます。でも、本当に大切なのは「心の相続」です。それは、あなたの想い、感謝、価値観を、大切な人に伝えて残すこと。
財産は弁護士が分けてくれます。物は処分できます。でも、あなたの「ありがとう」は、あなたにしか伝えられません。そして、それは今、この瞬間にしか伝えられないのです。

なぜ「ありがとう」が言えないのか
多くの方が、こう言います。「言わなくてもわかっているはず」「今さら恥ずかしい」「いつでも言える」と。
でも、本当にそうでしょうか。
ある女性は、お母様が亡くなった後、こう後悔していました。「母には感謝していました。でも、一度も『ありがとう』と言わなかった。言わなくても伝わっていると思っていたんです。でも今、母はそれを知らずに逝ってしまったのではないかと、毎日考えてしまうんです」。
「わかっているはず」は、あなたの希望的観測かもしれません。「恥ずかしい」は、あなたのプライドです。「いつでも言える」は、幻想です。明日、相手がいるとは限りません。明日、あなた自身がいるとも限りません。
感謝を伝える5つの方法
では、どうやって「ありがとう」を伝えればいいのでしょうか。ここでは、5つの方法をご紹介します。
方法1:直接会って伝える

最も心に響くのは、やはり直接会って、目を見て伝えることです。「お母さん、育ててくれてありがとう」「いつも支えてくれてありがとう」。シンプルな言葉でいいのです。あなたの声で、あなたの言葉で伝えてください。
方法2:手紙を書く
面と向かって言えない方は、手紙にしてみましょう。手書きの文字には、あなたの温度が宿ります。完璧な文章でなくていい。下手な字でもいい。あなたが時間をかけて書いたという事実が、何よりも尊いのです。
方法3:ビデオメッセージを残す
スマートフォンで自分を撮影し、感謝のメッセージを録画しておく方法もあります。あなたの声、表情、雰囲気。それらすべてが、かけがえのない記録になります。遠方に住む家族には、LINEやメールで送ることもできます。
方法4:「ありがとうノート」をつくる
一冊のノートを用意して、日々感じた感謝を書き溜めていく方法です。「今日、夫が淹れてくれたコーヒーが美味しかった」「娘が電話をくれて嬉しかった」。小さなことでいいのです。あなたが亡くなった後、家族がそのノートを読んだとき、どれだけ愛されていたかを知ることができます。
方法5:今すぐ電話をかける

このコラムを読み終わったら、すぐに電話をかけてみてください。「急にどうしたの?」と驚かれるかもしれません。でも、「ちょっと、ありがとうって言いたくなって」。それだけで十分です。理由なんていりません。
受け取った側の心の変化
感謝を伝えることは、伝える側だけでなく、受け取る側の人生も変えます。
ある男性は、お父様から突然「お前には感謝している」と言われて、戸惑ったそうです。「父は無口な人で、そんなことを言う人じゃなかった。でも、あの一言で、父との関係が変わりました。今まで感じていた父への複雑な感情が、スッと消えたんです」。
感謝の言葉は、受け取った人の心に光を灯します。その光は、あなたが亡くなった後も、ずっと消えることなく、その人を照らし続けるのです。
伝え忘れている人はいませんか

ここで、少し立ち止まって考えてみてください。あなたが「ありがとう」を伝え忘れている人はいませんか。
親、兄弟、配偶者、子ども、友人、恩師、かつての同僚。リストアップしてみると、驚くほどたくさんの人が浮かんでくるはずです。
中には、もう会えなくなってしまった人もいるかもしれません。それでも、お墓参りに行って、心の中で伝えることはできます。手紙を書いて、仏壇に供えることもできます。形は違っても、あなたの想いは届きます。
心の相続は、生きている今しかできない
財産の相続は、あなたが亡くなった後でも手続きできます。でも、心の相続は違います。あなたが生きている今、この瞬間にしかできません。
そして、心の相続に「早すぎる」ということはありません。むしろ、早ければ早いほどいい。なぜなら、伝えた後の時間を、お互いにもっと豊かに過ごせるからです。
「ありがとう」と伝えた後、不思議なことに、人間関係は深まります。今まで言えなかった本音が言えるようになります。笑顔が増えます。一緒にいる時間が、より特別なものになります。
終活とは、死ぬ準備ではありません。今をもっと豊かに生きるための活動です。そして、心の相続は、その最も大切な部分なのです。
今日、あなたは誰に「ありがとう」を伝えますか?このコラムを読み終わったら、すぐに行動してください。明日ではなく、今日。後でではなく、今。
あなたの「ありがとう」を待っている人が、きっといます。
相続会議
「想いをつなぐ、家族のバトン」をコンセプトに、朝日新聞社が運営する相続に関するポータルサイト。役立つ情報をお届けするほか、お住まい近くの弁護士や税理士、司法書士を検索する機能がある。以下から自治体名をクリックすると、相続会議と提携している弁護士に相談ができる。








